しあわせになることを本気で追求する時代になったのかもしれません。
そして、思いのほか、あるいは、予想通り、
しあわせとは苦行なのかもしれません。
例えるならば、呼吸を24時間意識し続けるような。
呼吸が苦しいときは意識できるのです。
呼吸が上手くいっているとき、無意識でもいいのに、意識し続けようとする。
禅、と言ってもいいのかもしれません。
坐禅をすべてに拡張した、動禅。
誰でもしあわせになれます。
無意識でもしあわせをキープできる人なら良いのです。
しあわせが続かない人って結構多いじゃないですか。
上手くいかない、とか。
鍛えていないだけです。
上手くいくように、上手くできるまで、鍛えるまでです。
鍛えることができない人は、そもそもしあわせになれないのです。
鍛えてないのに傍から見てしあわせな人は、しあわせだと自覚できていないと思います。
むしろ、そのケースの人で、自分は不幸せだとわめき散らしている人が結構いますよね。
では、どう鍛えればいいの。
ですから、意識をするだけです、ひたすら。